第一話は、明治時代に日本がオリンピックに初参加するために加納治五郎氏が動き出す話。
古今亭志ん生(北野武)と、若き日の志ん生である美濃部孝蔵(森山未來)が語り部。話の舞台が昭和になったり明治になったりするので最初はわかりにくいかも。
エッセンス
第1話では、柔道の父である加納治五郎(役所広司)が、日本のオリンピック初参加を模索して東奔西走する様が描かれています。
当時は明治時代後期。日本人の身体を作る体育には熱心ですが、競技を楽しむスポーツには批判的な意見が多く、加納治五郎は説得して回るも苦戦します。
「オリンピック、オリンピック こう聞いただけでも、私たちの心は踊ります。全世界から、スポーツの選手が、それぞれの国旗をかざして集まるのです。すべての選手が同じ規則に従い、同じ条件のもとに力を競うのです。」
物語の最初、昭和のシーンで、小学生が学校で斉読している文章です。
ジャーナリストの平沢和重(星野源)が、1964年五輪の開催地を決めるミュンヘンIOC総会にてプレゼンした際に日本の小学生はこれを読んでいると紹介。それが効いたのかどうかはわかりませんが、とにもかくにも東京五輪が決まります。
当時の日本は国を挙げて一つのことに取り組もうとするようなまとまりがあって、今よりも個人個人が全体を意識して動いていた時代。だから学校でも国の方針を露骨なまでに教え、国としての成長を後押しすることができたのかもしれません。
逆の見方をすると、今は個人を尊重するあまり全体としての力がそがれてるのような気もしますね。
「当時の日本は日清戦争と日露戦争に勝ち続けたアジアの雄、そして神秘の国」
話の舞台は一気に明治にまでさかのぼります。
西郷どんこと西郷隆盛が死んだのが明治10年。日清戦争は明治27年、日露戦争は明治37年。10年おきくらいに国を揺るがす一大事が起こっていたことになります。
しかも、ちょっと前までちょんまげを結っていた極東の小国が清やロシアといった大国に立て続けに勝ってしまったわけですから、一体どういう国なんだと驚かれたことでしょう。
ちなみに、加納治五郎がフランス大使から「アジアの代表としてオリンピックに参加してほしい」と要請されたのが明治44年。西郷隆盛の死後わずか35年ほどで日本はアジアの代表的な国として西欧から認識されたことになります。
「日本人がオリンピックなど、10年、いや50年早いでしょう。」
「日本人は身体ができてない。欧米人並みに強靭な肉体を持つ日本男児の育成、これは国家の急務~」
「身体も心も未熟な若者に一国の命運を托するという意識が何を生むか。私が見た光景はドランドの悲劇と呼ばれ、語り草になりました。」
「走る意思のない選手を寄ってたかって引きづり回し、ゴールに押し込んで、勝ち負けにこだわる人間の醜さを、競技スポーツの弊害を私は見ました。」
「体格のいい欧米人でさえ、命がけなのです。肉体的に未熟な日本人が走ったら死人が出ますよ。」
オリンピック参加を打診してきた加納治五郎に対し、東京高師永井道明教授(杉本哲太)が言ったセリフ。
東京高師とは、東京高等師範学校の略で、師範学校とは、教員を養成する機関でした。つまり永井道明は教師を目指す生徒を教えていた教授ということになります。
永井道明は当時、文部省の要請でアメリカのボストンやスウェーデンのストックホルムで海外の体育の視察をしてきた人です。日本学校体操の父とも言われています。
「スポーツなどくだらん。体育です。」
「体育は教育。子供たちに健康な肉体を授けるのが我々の使命。一部のわずか数名のエリートが技を競い合うスポーツには意義を感じません。」
「残念ながら今のご時世、あなたのような考え方は異端でありましょうな。戦勝国となった日本国民にとって、勝負とは命がけ。競技スポーツの意義を説くのは至難の業である。」
これは大隈重信のセリフ。
大隈重信は言わずと知れた早稲田大学の創設者にして初代総長ですね。政治家としても有名で各大臣を歴任し、内閣総理大臣にもなっています。
「私はスポーツというものが心底嫌いでして・・・」
銀行家、三島弥太郎(小澤征悦)が加納治五郎に言ったセリフ。
三島弥太郎はこの回に登場する短距離走の三島弥彦(生田斗真)の兄で、後に日銀総裁にもなっています。
ちなみに、彼は西郷隆盛の従姪(いとこの娘)と結婚しています。さらに、弥太郎、弥彦の妹にあたる峰子は大久保利通の次男と結婚。地味な感じで西郷どんのメンバーとつながりがあったりします。ドラマでは描かれないでしょうけど。。。
まとめ
第1話では、加納治五郎氏が周囲の否定的な意見に直面しながらも、オリンピック参加を推し進める様子が描かれています。
そしてラストの予選会のシーンでは物語の主役である金栗四三(中村勘九郎)が帽子の染料で顔を真っ赤にしながら見事一位で完走。加納治五郎を喜ばせるところで終わりです。
明治41年第4回オリンピックロンドン大会
25マイルを走る
ドランドピエトリイタリア
脱水症状
4回も気を失い、そのたびに抱え上げられ死にたいでゴールテープを切った
草月な光景