ネットフリックス「極悪女王」で一躍注目を集めたダンプ松本さん。ドラマでは彼女の生い立ちから引退に至るまでのエピソードが盛り込まれて多くの人が「感動した」と絶賛しています。
今回はそんな彼女の引退試合について、何歳で引退したのか、動画はあるのかといったことを主体にまとめます。
ダンプ松本の引退試合の詳細
ダンプ松本は何歳で引退した?
ダンプ松本が引退したのは1988年、彼女が28歳の時です。
【ダンプ松本経歴】
1980年
- 全日本女子プロレス入門
- 松本香としてデビュー
1983年
- デビル雅美率いるデビル軍団入り
1984年
- リングネームをダンプ松本に改名
- 極悪同盟結成
1985年
- 長与千種と敗者髪切りデスマッチ(1回目)
⇒ダンプが勝ち長与が髪切り
- 長与千種と敗者髪切りデスマッチ(1回目)
1986年
- 長与千種と敗者髪切りデスマッチ(2回目)
⇒長与が勝ちダンプが髪切り
- 長与千種と敗者髪切りデスマッチ(2回目)
1988年
- 全日本女子プロレス引退
・1月4日引退を電撃発表(後楽園ホール)
・2月22日引退特別試合(大田区体育館)
・2月28日引退試合(熊谷市体育館)
- 全日本女子プロレス引退
ダンプ松本の引退試合は?
ダンプ松本の引退試合はブル中野とコンドル斉藤を相手に1対2の変則マッチで行われました。2人はダンプさんの愛弟子であり、ダンプさん自身が引退試合の対戦相手として指名した経緯があります。試合はダンプさんがブルさんにフォール勝ちを収めています。
極悪女王ではダンプ松本&大森ゆかりペア対クラッシュギャルズが引退試合のように描かれていますが、あれは引退記念の特別試合です。実際にはあの試合の後に本当の引退試合があったということですね。
ちなみに、クラッシュギャルズとの引退特別試合では、試合がノーコンテストとなった後にダンプの呼びかけで「ダンプ&千種」ペア対「飛鳥&大森」ペアという延長試合が実現します。ドラマではダンプの呼びかけで延長試合が行われていますが、実際は会社側から「ファンが喜ぶから」と長与さんとのタッグを打診され、ダンプさんが了承してマイクパフォーマンスをしたという経緯があります(東スポWEBより)。
ダンプ松本の引退試合の動画
ダンプ松本とブル中野、コンドル斉藤が対戦した引退試合の動画がこちらです。試合開始直後からブルさんやコンドルさんが泣いているのがわかります。試合後のあいさつでは「クラッシュギャルズのファンの皆さん、今までちーちゃんやとんちゃんをいじめてすみませんでした」と涙ながらに謝罪しています。
ジャガー横田さんが解説しているんですが、声が普通の女性の声なんですね。今はガラガラ声ですが、あれは嗄声(させい)という症状なんだそうです。病気以外では、大きな声を出す仕事やアルコールをたくさん飲むような人がなりやすいそうです。
話しがそれましたが、こちらは極悪女王でも描かれていたクラッシュギャルズとの引退特別試合の模様です。
「お前とは敵だけじゃ終われないんだ!」
と言ってますね。ドラマのまんまです。
引退した理由は?
ダンプさんは引退の理由を、
- 会社の人が嫌で嫌で仕方なかった
- せっかく成功しても嫉妬がすごい
- ブームが下火になる前に派手に引退したかった
などと本やインタビューで述懐されています。当時、全日本女子プロレスは25歳定年制と言われていて、25歳を過ぎるとどんなに人気があっても会社から露骨に肩たたきされて辞めていくのが常でした。ダンプ松本さんが引退したのは1988年ですから28歳の時です。当時、会社からまだ肩たたきはなかったそうですが、そうなる前に自らの意思で辞めたかったということでしょう。
引退後のダンプ松本
引退後はダンプ松本として芸能界での活動をしばらくされていました。テレビ番組だけではなく舞台の仕事などもあったそうですが、35歳くらいから仕事が減ってきたそうです。
- 客の反応が見れるのでテレビなどの仕事よりは舞台の方が楽しかった
- みんなで和気あいあいとやれる仕事が楽しくて好き
- テレビのバラエティとかは一度断ると次からオファーがなくなった。
- 舞台も1か月公演とかがなくなり10日間とかの短い公演がポツポツ入る感じ
- 給料性だったので仕事がなくても困るほどじゃなかった
ダンプさんがリングに復帰するのは1998年のことです。その時は1日限りの復帰戦でしたが、以降、レスラーとして、あるいは裏方として女子プロレスを支える活動をされています。
全女時代のダンプ松本さんの心の葛藤や、友情、裏話などが書かれた一冊です。父親への思いや話題のお母さんの日記なども掲載されています。
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ダンプ松本『ザ・ヒール』: 極悪と呼ばれて 平塚 雅人(著) 単行本1540円 |